カナダ VIA鉄道旅行記


カナダ旅行記 : VIA鉄道編

【VIA鉄道の旅】

カナダ全土を網羅するVIA鉄道。旅の交通手段としてこの鉄道を選択した。 一ヶ月のフリーパスを購入した。値段はオフシーズンで500ドル、オンシーズンで800ドルといったところだ。 最初の目的地はトロント。カナダの西端に位置するバンクーバーからカナダ東方に位置するトロントまで、 3泊4日の長旅だ。出発は夕方の5時30分だった。カムループス、ロッキーマウンテンをすり抜け、エド モントン、ウィニペグ、そしてトロントへと辿り着く。トロントまでの間に何百と言う駅があり、列車は全 ての駅に停車するようだ。

駅近くにあるチャイナタウンで腹ごしらえをした。列車で食べる 食料も買い込んだ。なんだか凄くワクワクしていた。シーズンオフ のせいか乗客が少なく、窓際のいい席が確保出来た。出発の時間が やってきた時、あたりは既に薄暗かった。 列車はバンクーバーを背に、ゆっくりと動き出した。街が次第に遠ざ かって行く。バンクーバーの街明かりはとても綺麗だった。


【VIAとロッキー山脈】

どこまでもひたすら山が続く。雪化粧された山々は綺麗でとてつもなく長かった。 ロッキー山脈の麓を走るVIAレール。時たま野生の動物が姿を現し、乗客たちを大いに沸かせた。

朝、目が覚めたら雪景色が一面に広がっていた。昨晩は生涯 初めて電車で過ごした。とても寒かった。外の気温が零下30 度らしい。にもかかわらず車内は冷房をかけていた気がする。 通風孔の風が冷たかった。外の気温が冷たすぎるので暖房が 冷たくなったんだろうか?それとも暖房をかけると、外部との 温度差でまずい事があるから、外気より高い冷房をかけていたん だろうか?そんな疑問を抱きながら、展望車で朝のコーヒーを 飲んでいた。とにかく展望車からの眺めは格別だった。


【VIAで物思いにふける】

ジャスパーを過ぎた辺りからロッキー山脈が姿を消した。雪に覆われた森が湖が麦畑が淡々と続く。 天候は次第に悪化していき、まともに景色が見れない程、雪が吹れた乱れた。そしてこんな日の夜は 誰だって思いが沈むはず。

人生はアートだ。バンクーバーのホステルにいた頃、 老人が語りかけてきた言葉。もしそれが本当なら自分は ガラクタばかり集めている気がした。一体何を額縁に入れる 事が出来ようか。その老人は昔教師をしていたらしい。彼に とっては生徒の一人一人がアートだそうだ。そんな話を思い 出していた。少し感傷的になっていた。何故か悪い事ばかり が頭に浮かぶ。吹雪は一向にやむ気配がない。今夜はいつも より多めに酒を飲んだ。


【VIAにも休息が必要】

列車はエドモントンで1時間ほど停車した。燃料補給のためだ。 2日目の夕方のことだった。

昨晩の嵐も収まり、雪がしんしんと振っていた。 駅構内にはドリンクバーが設けられ、駅員さんいわく、少し遅い クリスマスプレゼントだから飲んでくれとの事だ。ここにはメモ帳が 置かれていて、誰でも好きな事を記帳できるようになっている。オレも 少しではあるが、記念に下手糞な英語を刻ませもらった。ページをめくると 旅人達の旅の証跡や、家族へ向けたメッセージが多数記されていた。 そう言えば、列車内で会話をした旅人達の半数は家族の元へ帰るとの事だった。


【VIAと音楽家】

列車はウィニペグへ到着した。ここでは30分程停車するようだ。列車を降りると凍てつくような寒さが襲ってきた。 ウィニペグはマニトバ州の中でも比較的大きな町だが、冬場の気温は零下20度に達すると言う。この町だけでなく、 カナダ東部の冬はかなりきつい。冬場の間だけ西へ移る人がたくさんいるようだ。 横の席に大きなバイオリンのような楽器を持った女性が座った。

プロの奏者でこれからモントリオールへ向かうという。世界中を 転々としているそうだ。その女性は楽器を自分の傍らに置いていたが 一時も手を話す事はなかった。世界で3番目に大切なものだと言っていた。


【VIAとお別れ】

トロントが近づいてきた。3泊4日を共に過ごした旅人達とももうすぐお別れだ。 これから家族に会いに行く人や旅をしている人など、色んな人がいた。もっと英語が分かればもっと楽しむ事ができただろう。

トロントの街のネオンが目に入った時、車内でいっせいに歓声が沸いた。 トロントへついた頃には夜の9時を回っていた。地図を頼りに ユースホステルへ向かう。寒い中1時間程彷徨ったあげく、どこに いるのか分からなくなった。人通りもほとんどない。通りすがりの マックで一息つくことにした。大きな荷物を傍らにおき、地図を眺めて いると、一人の女性が声をかけてきた。日本の文化に興味があり、 職場でも日本人の友達がいる、おまけに旅好きだと言う。ホステルまで の道のりを尋ねたところ、そこまで誘導してくれるとの事だ。10分程ある けばホステルに到着した。その間に日本語を3つ程教えてあげたが、感激 してくれたようだ。別れ際に、また何か困ったことがあれば連絡をくれと 名詞を渡してくれた。とても親切な人だった。